ご挨拶・沿革
理事長挨拶
大槻能楽堂は、昭和10年に大槻十三によって創立し、昭和58年現能楽堂へ建て替え致しました。当時は初めての椅子席の能楽堂として、近代へ向っての斬新な試みでありました。その後、戦禍も免れ、大阪での能公演の殿堂として御愛玩頂いて参りましたが、令和元年、皆さまの御篤志を賜りまして、改めてリニューアル工事を施工いたしました。
大阪で唯一、三間四方の能舞台を持つ大槻能楽堂は、大阪の能楽を継承していく拠点として、後継者である若手が研鑽を積む稽古場として、非常に重要な役割を担っています。第1回世界無形文化遺産に登録された、能楽700年の伝統を守り、後世に引き継いでいくために、今後はより開かれた能楽堂として、関西の、日本の、世界の芸術の拠点として文化に貢献して参りたいと念じております。
公益財団法人 大槻能楽堂
理事長 大槻文藏
理事長 大槻文藏
沿 革
大槻能楽堂は第二次世界大戦の戦禍を逃れ、当時唯一の能楽堂として大阪の能楽界・関西の文化の拠点として寄与して参りました。
能楽堂の辺り上町台地は、難波宮の跡地で、難波宮は前期(652年~686年)、後期(744年~784年)の二度にわたり都が敷かれた場所で、遺跡調査を行ったうえでの工事となりました。
能楽堂の辺り上町台地は、難波宮の跡地で、難波宮は前期(652年~686年)、後期(744年~784年)の二度にわたり都が敷かれた場所で、遺跡調査を行ったうえでの工事となりました。
昭和10年9月 | 故大槻十三が現在の地に「大槻清韻会能楽堂」として設立。それまで畳敷・升席が普通であった能楽堂を、五百席の椅子席にし、天井にシャンデリアを施し、二階にはレストランを設け通常営業を行うなど大変先進的な能楽堂であった |
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昭和23年5月 | 能楽堂が公共的役割を果たすことを目的に、財団法人となる(初代理事長・大槻十三) |
昭和34年9月 | 客席・ロビー等大規模改修 |
昭和37年1月 | 初代理事長大槻十三 逝去 |
昭和37年2月 | 二代目理事長に大槻秀夫が就任 |
昭和55年12月 | 消防法の大改正・建物の老朽化に伴い、旧建物を残しての復旧は難しく、全面的建替えとして一時閉堂する。 |
昭和58年5月 | 大槻能楽堂 新装オープン。先代宗家観世元正氏の「翁」を皮切りにこけら落し公演が行われる |
昭和59年4月 | 大槻自主公演能が始まる |
平成3年12月 | 二代目理事長大槻秀夫 逝去 |
平成4年4月 | 三代目理事長に大槻文藏が就任 |
平成21年4月 | 「梅原猛の授業 能を観る」が朝日新聞出版から刊行 |
平成22年10月 | 大槻自主公演能が500回を迎え記念公演を催す。公益財団法人の認可を受ける |
平成26年4月 | 能舞台が国の「登録有形文化財(建造物)」に登録される |
平成28年7月 | 「世阿弥を学び、世阿弥に学ぶ」が大阪大学出版会から刊行 |
令和元年7月 | 第一期改修工事が始まる |
令和2年1月 | 第一期リニューアルオープン。主に客席・ロビー・トイレ・外観が改修される |